福永文夫

社会党は、占領下に行われた「民主化」を評価・受容し、その頂点とも言うべき日本国憲法を擁護する立場をとった。他方で自由民主党は、占領後期の「安保」を梃子として、それを発展させ現在にいたっている。1950年代、鳩山一郎・岸信介らは、行き過ぎた占領政策の是正、第九条をはじめとする憲法改正、そして再軍備を主張し、吉田に挑戦した。60年安保騒動は、保守と革新が先鋭的に衝突した場だった。 それは同時に、保守のあり方にも変容を迫った。明治憲法下の保守政治から日本国憲法下の保守政治を生むことになる。それは保守本流と呼ばれ、護憲と日米安保を共存させることで、改憲・再軍備を唱える自民党内のもう一つの流れと、他方で護憲・日米安保反対を唱える野党それぞれと対峙する政治だった。 戦後日本の政治は、「憲法」と「安保」という二つが引き寄せあって一つにならない楕円のなかに展開し、いまあらためて国際社会との関わりを問われている。